教育

間違えたっていいんだよ

最近の出来事

ここ数日、仕事で部下の失敗が多発しました。はじめは、「すみません、今後気を付けます。」という感じだったのですが、ミスが続くと「・・・があったため・・・。」と言い訳をし、さらにミスすると「・・・さんに引き継いだはずなんですが・・・。」と誤魔化し、最後は報告すらせず隠してしまう…。


なぜ、隠す?隠したらその時間だけその対策が遅くなり、傷口が広がるだけなのに。怒られるから嫌なのか?別に怒ってないよ。何なら「その報告早くしてくれてすぐに対策打てたから助かったよ」って言ってるよ。みんなに迷惑かけたという罪悪感?人間誰でもミスをするからそういう時こそチームで解決するもんじゃない?

ん?んん?・・・・・・!!

そもそも、なぜミスがいけないと思うんだ?まあ、いいことではない。でも、でもさ、言い訳したり、ごまかしたり、隠すことの方がずっといけないことじゃない?
なぜ、『ミスをする>言い訳・ごまかす・隠す』ってなるのか。
これは、学校生活で、ずっと正解、不正解の世界で生きてきたのが一つの原因ではと思います。

学校と社会の仕組みの違い

学校では当然授業があります。「この問題合ってた人」「間違えた人は赤で直しておいて」「テストで間違えていたところの間違いなおしが宿題です」こんなセリフを聞いたことない人はいないでしょう。定期テストで順位も当然点数で決まります。極端な言い方ですが、正解が正義、不正解が悪なのです。この環境で小中高大と育ったら、当然仕事のミスは最上位の悪になります。


自分は社会では塾業界にしか身を置いたことがないので、非常に狭い視野ですが、完璧な正解は見たことがありません。正解だと思っても、改善したら大正解に必ず変わると思っています。ただし、正解はかなり貴重なものです。大半は、不正解を正解に近づける対策を打つことに終始します。時代の変化と共に、今まで良しとしていたものが通じなくなっています。不正解しかないといっても過言ではありません。社会で完璧な正解はない…。正解、不正解だけの世界で生きてきた学生にとってはかなりきついでしょう。

では、子どもたちにどう接すればよいか。

これは、とても簡単です。正解不正解で親が子どもを評価しないことです。学校のシステムが変わらない限り、正解不正解の評価は学校に任せておきましょう。

正解不正解を評価しない方法

保護者は子どもの点数に敏感です。しかし、点数は無視しましょう。テストの結果はこれから学ぶ教科書だと思いましょう。正解だった問題はなぜ正解したのか振り返る。不正解の問題は最高の宝物です。深く子どもと考える絶好の機会です。とにかく一緒に考えましょう。どこがわからなかったの?なんて聞かないでください。はじめは、この問題見たときどう思った?って感じでいいのです。次にやった時できるようになるにはどうすればいいかな?でもよいと思います。

間違えた問題を解けるようにするのが目的ではありません。不正解だった時きちんと対策できるよう教育するのが目的です。テストで100点取るよりも、社会で生き残れる子どもに育てるのが目標ですから。

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